異国情緒を求めて

安彦 四郎 

年男を迎えて

「年男」とは言うまでもなくその年の干支(今年は卯年)にあたる男で、節分には豆を撒く。今年の節分には、NPO法人 あすみが丘国際交流の「くらしのにほんごくらぶ」が主催した節分・豆撒きに際し、当然ながら私が年男を仰せ付かり、在日外国人と共に豆を撒いて鬼退治し、一応その役目を果たした。
 さて、私が生まれた昭和14年(1939年)とはどんな年だったのだろうか。欧州では第二次世界大戦が勃発し、アジアではノモンハン事件(日本軍 大敗)が起き、今の平和な日本では想像もつかない、世界に暗雲が立ち込めた年でもあった。あれから72年を経た今年は果たして、よい年になるのだろうか。あの「東日本大震災」が起こらなければ・・・・

大使館巡り

大使館オタク

私は小さい頃から地理が好きで、よく地球儀や世界地図を眺めては、国やその首都の名前を暗記してクイズなどで自慢したのを覚えている。上京した当時は、海外旅行などは夢の夢であり、それならば東京の中の外国を訪ねてみようと、暇を見つけては都内の「大使館巡り」を始めた。今では100か国以上訪ねたであろうか。
ところで現在、世界の独立国は約200か国もあり、年々独立国が増えつつある。その内都内に147か国が大使館を開設しており、その数は世界広しといえどもアメリカのワシントンに次ぎ、堂々の2番目に多い。大使館の数が多いと言うことは親日国が多いか又は日本の国際的地位が高いかの証左であり、これは大いに誇っていい。ただし、最近大国・中国の北京に駐在する大使館が増えてきており、早晩、東京を追い抜く可能性が高い。                                           
 さて、大使館の建物、敷地内等は「外交関係に関するウ
ーン条約」により、治外法権となっておりその国の領土と同等に見なされ、通常、一般の人は立ち入ることはできない。それでも、大使館の特別なイベントや一般公開日を狙い、30数か国近い大使館の中に入ることができた。
このように、大使館に少なからぬ興味を持つ私は多分、世間では珍しいのではないかと密かに思っており、自称「大使館オタク」と呼んでいる。

大使館にみる異国情緒

一口に大使館と言っても、国により実に多種多様であり、その規模や陣容などにより、その国の国力や親日度が推測できるかも知れない。            
5年前にモスクワ(ロシア)の日本大使館を新築した際、余りに豪華すぎるとの批判を受け、当初計画にあった室内プール、テニスコートを取り止めた経緯があった。一方、東京のロシア大使館(港区麻布台)には、広い敷地にプール、テニスコート、学校なども併設されており、小さなロシア・タウンのようだった。

 アメリカ大使館(港区赤坂)は、地上11階建の本館、アメリカの「海外重要文化財」にも指定されている大使公邸をはじめ大規模な大使館員の住宅棟などがある。これは2年前に完成した北京(中国)のアメリカ大使館と共に世界最大級の規模と言われている。歴代の駐日大使も、マンスフールド(元・上院院内総務)、モンデール(元・副大統領)など、超大物が赴任しており、これらは過去の良好な日米関係と相俟って、対日重視の表れと言っていい。
 この付近には、スーデン政府が海外で手掛けた単一プロジェクトしては最大とされるスーデン大使館の曲線を描いた城郭のような建物、ゆったりとした敷地に近代的な本館とスペイン風の官邸が調和しているスペイン大使館などがあり、アメリカから一気にヨーロッパに飛ぶようだ。
 英国大使館(千代田区一番町)の敷地は、明治時代の日英同盟の締結など日英が最も良好な関係にあった時代、明治政府が英国政府へ一番町という超一等地に破格の安さで永代借地権を付与したものである。都内の大使館では最大級の一万坪余りの敷地を有し、中にはいると、いかにも英国風の威厳ある建物と美しい庭園が広がり、あたかも束の間の英国旅行といった気分か。

 

                  英国大使館              

 

また、この付近は皇居のお濠沿いで、2年前に新築された近代的なインド大使館があり、千鳥ヶ淵と共に桜の名所でもあり、毎年花見を兼ねて散策するのを楽しみにしている。
オランダ大使館(港区芝公園)は、東京タワーの近くの通称「オランダ坂」を登った高台にあり、本館は江戸時代にオランダ商館のあった出島(長崎県)をイメージした扇形のユニークな建物である。その隣には民間のビル「オランダヒルズ」があり、何かとオランダの雰囲気が漂う素晴らしい環境にある。
 カナダ大使館(港区赤坂)は、東宮御所の真向かいに、カナダ政府が日加友好のシンボルとして世界で最も進歩的で大規模な大使館として造られた。その屋上テラスには、ロッキー山脈に代表されるカナダ大陸を象徴する「岩のオブジェ」が、鎮座しており、カナダがいかに日本に友好的であるかを物語っている。また、大ホール、図書館、日本庭園などを巡ると日本とカナダの雰囲気が一度に味わうことができる。

大使館ビル

 

イタリア大使館(港区三田)の広大な庭園の一角には、忠臣蔵の赤穂浪士・四十七士の内、十士がこの庭園内で命を絶ったことから、十士の名を刻んだ石碑が建立されている。
イタリア政府のこのような友好的な配慮に感謝したい。

 最も親日国の一つでもあるシンガポール(後述)の大使館(港区六本木)は、傾斜のある敷地に白を基調とした瀟洒な5階建ての建物で、周辺の環境とうまく調和している。

 このように土地が安かった頃の戦前から大使館を開設していた主要国は、広い敷地を持ち建物も大きくゆとりある配置をしている。しかし、近年相次いで独立した国や発展途上国など
は、日本の物価高と円高等により、自前の大使館の開設が難しく、ビルやマンションに入居している場合が少なくない。
通称「大使館ビル」(港区西麻布)は、パナマをはじめ主に中南米諸国など
15か国が、一つのビル内に大使館を開設している。

大使館街

海外に目を転ずると、アジアではニューデリー(インド)や北京などに、いわゆる「大使館街」がある。
 ニューデリーの大使館街は、国会議事堂や中央官公庁がある地区に隣接し、インド独立から60年余を経て、今や立派な大使館街に成熟していた。3年前に訪れた時には、35度の猛暑の中で日本大使館もしっかりと確認してきた。
 北京の大使館街は、発展途上の三里屯地区にあり、広い通りに面して70か国以上の大使館が集中している。

 今や成長著しいインドや中国は、BRICsの一員として世界の大国を目指している。こうした背景にあってか、・ニューデリー、北京には各国が競って大使館の規模・機能の充実を図っている様子が伺えた。
 しかし、世界最大の大使館街は、何といっても超大国アメリカ・ワシントンのマサーチューセッツ・アベニュー(通称:Ambassy Row)にある。閑静な住宅街に日本大使館をはじめワシントンに駐在する170余の内、57か国の大使館が軒を連ねており、壮観である。ただし、カナダ大使館だけは、東京(前掲)の大使館の方が規模が大きいと感じた。
 これら三都市の大使館巡りは、殆どバスなどの車窓からの眺めで、本当はゆっくりと散策しながら見学したかったと、今でも残念に思っている。

さて、再び東京に戻ると今、都内(港区南麻布付近)では、年内に完成予定のEU代表部(大使館に相当)や隣接してアルジェリア、パキスタン、フンランド、フランス、ドイツそして有栖川公園を挟みノルウー、スイス、中国(分館)、やや離れて荘厳なオマーンの各国大使館があり、東京の「ミニ大使館街」が形成されつつある。
 なお、東日本大震災の際には、欧州、アフリカなどの国で、大使館の機能を大阪などの他都市に一時移転したり、大使館を一時閉鎖した国が計32か国にものぼった。

米軍基地

異国の情緒を求める行脚は都内の大使館に限らず、在日米軍基地にも及んでいる。首都圏では、横田空軍基地(東京 多摩地区)、厚木基地、キャンプ座間、相模総合補給廠、横須賀海軍基地、池子住宅、根岸住宅(神奈川県)など、それぞれ見学会、市民開放日などを利用して基地内に入って見学することができた。基地の中は、軍用施設はもとより、ショッピングセンター、レストラン、学校、病院、教会、映画館、ゴルフ場、野球場、屋内スポーツ施設、ボーリング場などがあり、正にアメリカの街そのものと言っていい。

特に横田基地の広大な飛行場に圧倒され、横須賀基地では運よく巨大な空母・キテホーク(満載排水量 8万6千トン)の入港に出会い、目の前で反り返って眺望した。

空母 キティホーク

現在ではキテホークは退役し、原子力空母・ジョージワシントン(満載排水量 10万2千トン)が横須賀基地を母港として配備されている。
 北から三沢空軍(青森県)、相模原住宅、上瀬谷通信施設(神奈川県)、岩国(山口県)、佐世保海軍(長崎県)そして今注目されている嘉手納空軍、普天間、キャンプ・シュワブ(沖縄県)などの基地は、開放日に行く機会がなく、残念ながら正門と周辺の外観のみの眺めとなっている。

 東日本大震災では、「トモダチ作戦」と称して、米軍基地はフル回転し、被災地に空母の派遣をはじめとして、物資の搬送や自衛隊と共に行方不明者の捜索などに奮闘した。日米安保条約や日本の安全保障等の難しい政治、外交問題はさておいて、日本の中のアメリカの片鱗に触れる貴重な機会でもあった。

奇跡の発展 シンガポール

この1月に以前から非常に関心があり、どうしても一度は行きたかった多民族の都市国家・シンガポールに行ってきた。
いかにして淡路島程度の国土面積に人口が約500万人の国が奇跡の発展を遂げてきたか、そのヒントの一つでも掴めればと、この目で確かめたかった。 

この国は、建国の父であるリー・クワンユー(元首相)の指導により、アジアの優等生、発展のシンボルともいわれてきた。世界トップクラスの3つの巨大ターミナルビルを有するハブ空港であるチャンギ空港、夥しい船舶と林立するクレーンのシンガポール港、網の目の立派な地下鉄、銀座に相当するオーチャード通りに溢れる若者達、次々と建設される超高層ビル、殆どゴミなどが落ちていない町並みなど、予想を上回る素晴らしい国の現状を目の当たりにして、思わず溜息が出た。
 驚くべきことに、人口500万人の飲料水の原水は、雨水、隣国マレーシアからの購入、海水の利用そして下水の再生水の4種類からなっている。飲料水としての下水再生水の利用は、苦肉の策かも知れないが、宇宙飛行士ならいざ知らず世界的にみて珍しいのではないか。
 発展の源は、強力な指導者のもとで、エネルギッシュな多くの若い人達、外資・頭脳の積極的な導入策、テーマパーク等にみられる大胆な海外からの観光客や国際会議・見本市の誘致策、それに治安の良さと町の清潔感といったところか。

オプショナル・ツアーでジョホール水道(海峡)をわたり、マレーシアにも足を伸ばしてきたが、その差は歴然としていた。非常に興味深かったのは、車でシンガポールからマレーシアに出国する場合、ガソリンのメーターの針が約8割以上(ほぼ満タンの状態)に指していないとシンガポールからの出国を拒否される。つまりガソリン価格はシンガポールがマレーシアよりも5倍以上高いため、マレーシアでの安いガソリンの購入を防止するためからだという。

かつて、シンガポールはマレーシアと共にマラヤ連邦として1957年に独立したが、人種、宗教などの違いにより1965年にマレーシアと袂を分かち独立を果たした。その後、経済発展等の格差も拡がり、今でも両国関係はお世辞にも親密とは言えない状態が続いている。
シンガポールの人口構成は中国系が7割と最も多く、他はマレー、インド、アラブ系などと続く。
中国系の人に、祖先の中国についてどう思うかと質問したら、「我々は飽くまでシンガポール人であり、中国には余り関心ないし、行ったことも無い」と、ピシャリと言われた。
 前述のように親日国シンガポールは、東日本大震災に際し、いち早く物資の提供、救援隊(16名)を派遣するなど多大な貢献をした。

現在の首相は、リー・クワンユー(前掲)の息子であるリー・シンロンで、何と独立以来、約50年間で3人目の首相であり、どこかの目まぐるしく変わる国にとっては耳が痛い。3人はいずれも中国系の首相で、シンガポールの発展に辣腕を奮ってきた。
 ご多分にもれず、シンガポールの一番の観光スポットでもあるマリーナ(港湾地区)にあるマーライオン像に行ってきたが、ここでも海外からの観光客で溢れ、活気に満ちていた。

マーライオン像

余談だが、今回の「マーライオン像」の見学で、以前行った「小便小僧」(ベルギー・ブリュッセル市)、「人魚姫の像」(デンマーク・コペンハーゲン市)と合せて、いわゆる世界三大ガッカリ像(?)を、図らずも制覇したことになる。
 これからも、年男を機に国内外を問わず異国情緒を求めて大使館などの行脚と海外旅行は、体力のある限り私にとって終りはない。

 3月11日に襲った1,000年に1回とも言われる東日本大震災に際しては、岩手県出身でもある私は、言葉では言い尽くせない程の衝撃を受けた。
ここに改めて、亡くなられた方々に深く哀悼の意を表し、被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます

(平成23年6月)